苦手なもの ※閲覧注意

苦手なものが苦手な理由について、自分の好みがはっきりするように、ここにメモしておくことにしました。好きな方には申し訳ありません。

 

SPY×FAMILY』 ※アニメ3話まで視聴

・東西冷戦を思わせる世界観なのに、情報戦も戦闘も展開が大雑把でリアリティがない。

・ロイドは設定では有能なスパイとされているが、あまり有能とは思えない。

・アーニャをかわいいと思えない。作品を問わず、「大人の話に首をつっこみたがり、余計なことをする子供」というキャラは嫌い。そういうキャラにストーリー展開を頼る作品も嫌い。

・ヨルは、人を殺している時はサイコパスなのに、ロイドやアーニャといる時は照れ屋で普通の人間らしいところがある、という矛盾を魅力的だと思えない。現状、殺人を楽しむのもロイドやアーニャにほだされるのも、精神的に未成熟であることのあらわれでしかない。

・疑似家族の危うい平和がいつ崩れるかヒヤヒヤする、というのがこの設定のうまみだと思われるが、いつまでも崩れそうにないので続きが気にならない。

 

男性アイドル

・ダンスがうまいこと、若くて顔が可愛いことを魅力的だと思わない。

・男性アイドルは女性アイドルの場合よりもずっと、同性から嫌われやすいのではないかと思う。「なるべく多くの女性からモテる」ことを仕事にすることについて、覚悟があってその世界に入ったようには見えない。

・単純に自分の好みの問題であって、男性アイドルがビジネスとして成立することを否定はしない。

『インセプション』を観て 他

映画『インセプション』(クリストファー・ノーラン監督)を観ました。

面白かったです。難しいと聞いていたのですが、ついていけました。以下簡単な感想です。

・脇役のキャラが立っていてかわいい。

・コブはモルにインセプションを行ったことで悲劇を招いたのに、同じことを標的にしてまで「家に帰る」ことが許されるのか。

・音響が独特な感じがした。

・最後、トーテムが回り続ける(夢の世界ということになる)のかそれとも倒れる(現実ということになる)のか、わからないところで映画が終わるのが不気味だと感じた。

渡辺謙の英語での演技を初めて見ることができてよかった。

今敏監督のアニメ作品を思い出した。

・夢と現実、というテーマが東洋的という意見を目にしたが、ピンとこないので保留。

 

また、小説『存在の耐えられない軽さ』(ミラン・クンデラ)を読み終えました。

難しいのですが、読むのがつらいということはありませんでした。

・サビナとフランツのエピソードは、ソ連の侵攻を受けた当事者と当事者以外の西側諸国とのギャップや、サビナの「キッチュ」への嫌悪といったポイントで、比較的とっかかりやすかったように思う。第3部「理解されなかったことばの小辞典」という部分が助けになった。

・テレザとトマーシュのエピソードは、何百人もの女と寝ているトマーシュに絶望しながらも一緒にいようとするテレザと、偶然性と同情からテレザに結び付けられている遊び人のトマーシュ、という構図の愛が現実に成り立ちうるのか疑問で、理解の範疇を超えているように感じた。

・フランツとシモンが、目の前に存在しない人物の想像上の視線によって生きる力を得る類の人間であることが示されており、確かにそういう人もいると思った。

共産主義の、盗聴と密告、プライバシーの欠如という要素がおそろしいと思った。

・主要な登場人物は、「プラハの春」後の時代によって人生に影響を受けてはいるが、翻弄されているわけではなく、あくまで個人的な問題にとらわれているところにリアリティを感じた。

・いずれかの登場人物に共感するための物語ではなく、「人間」という存在とその心理や、人生を分析する目線で書かれていると感じた。

歩きながら考えたこと

① 認知されることと目立つことの違い

 

目立つことはよくない、最近の目立ってなんぼという風潮は実はダメという意見を目にした。確かに、個人的な経験でも、目立つのはよくないなと思ったことがある。何がよくないかというと、まず第一に自分を支えてくれる身近な人を置いてけぼりにしてしまうこと。次に、他人から意図しない悪印象を持たれやすくなること。

しかし、企業が自分の存在を不特定多数の消費者に認知させるため、広告に多額の費用を投資していることからもわかるように、社会で何かをなしとげるためには、目立つ目立たない以前に自分の存在を多くの人に認知させる必要がある。炎上などで悪目立ちしたとしても、そもそも全く存在を知られていないよりはマシ、悪印象は良印象に塗り替えることができるから大丈夫、という考え方にも一理ある。

思うに、目立つのが良くないのはそれが全く自分のエゴの為である場合で、支えてくれる人を置いてけぼりにせず、なおかつ社会貢献などの大義名分があれば、認知されることを目指し、その結果として目立ったとしても問題ないのかもしれない、などと考えた。

 

② 芸術や思想学問は最後の砦ということ

 

自分は芸術や学問にそこまで熱中するたちではなく、体を動かしていた方が楽しいタイプかもしれない、と最近になって気付いてきた。しかし、芸術や学問などの精神的活動を全くやめてしまいたくはない、と思っている。それはなぜかというと、そういった精神的活動は、お金がなかったり、老いや事故で身体に障害が残ったりしても、幸福感や充実感を生み出し、自分の心を救ってくれるものだと思うからだ。その意味で最後の砦だと考えている。

一方、そうだとすると芸術や思想学問への関心が薄い人間は、貧困や身体的不自由のような極限状況で幸せを感じにくく、不利なのだろうか。それは不公平ではないかといった疑問が浮かんだ。まあ、普段精神的活動への関心が薄くても、そのような状況に置かれれば別かもしれないし、精神的活動とひとくくりにいっても、その内実・趣味嗜好は様々だろうから、不公平ということもないのかもしれないな、と思った。

『反貧困』を読んで

湯浅誠『反貧困』(岩波新書)を読みました。

湯浅さんは、Wikipediaによれば、学生時代は東大の法学政治学研究科で江戸時代の儒学を専門に研究をされていたそうです。その後どういったきっかけからか、ホームレスや生活保護受給者などの支援を行うNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」を設立し、現在はNPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」理事長もされているなど、貧困問題に取り組んでいる方です。

本書は、おそらく昔一度読んで本棚にそのままだったのを、久しぶりに読書がしたいなと思ってなんとなく手にとったのでした。

読んでいて印象に残った部分や、自分で調べた関連項目を以下に記録しておきます。2008年に出版された本なので、統計や制度・政策など、現在と違う部分もあるかもしれません。

 

1 生活保護の問題

(1)水際作戦

 福祉事務所が、生活保護の受給希望者からの相談に対し、いろいろと不当な理由をつけて生活保護の申請を断念させること。「住居不定では受給できない」「持ち家があると受給できない」といった説明は、生活保護法の規定内容に反し、虚偽である。「家族に養ってもらえ」や、母子家庭の母親に対し「子供を児童養護施設に預けて働け」といった対応がとられることもあるが、不当である。

 第三者が同行することで、職員の態度が改善することが多い。

(2)捕捉率

 生活保護を利用する資格がある人のうち、実際に利用している人の割合。日本では公的な推計さえ行われていないが、20%を下回る。これに対し、イギリスやフランスでは80%を上回る。

(3)北九州市の事件

 2006年、北九州市の福祉事務所が強引な水際作戦を行い、2か月で3人の餓死者を出した事件。有志により、保護責任者遺棄致死罪等で刑事告発がされた。

(4)その他

・貧困実態の調査結果が、生活保護世帯よりも貧しい世帯がいるのだからと、生活保護基準切下げの材料として使われることがある。

生活保護基準が、税や社会保険料減免の基準になっていることが多いため、生活保護基準の切下げはいろいろな制度に影響を及ぼすことになる。

 

2 労働者派遣の問題

(1)高いマージン率

 業種によるのかもしれないが、3~4割に上る。2012年施行の改正労働者派遣法23条5項で、派遣会社にマージン率の公開が義務付けられた。

(2)派遣対象業務の拡大

 徐々に対象業務が拡大され、現在の禁止業務は、港湾運送業、建設業及び警備業務に限られる(労働者派遣法4条1項)。

(3)偽装請負

 実質的に見て、労働者派遣や労働者供給であるにもかかわらず、請負契約や業務委託契約の形式をとる行為(「偽装請負」などと呼ばれる)は、労働法規違反となる(労働者派遣法5条1項、24条の2、職業安定法44条、労働基準法6条)。

(4)現代版飯場システム

 派遣会社が、日雇い労働者に寮や食事を提供する裏で、賃金と寮費・食費を相殺するなどして労働者の手取りを減らし、低賃金で働かせることのできる労働者を囲い込む仕組み。本書では、貧困ビジネスの一種に位置付けている。

 

3 五重の排除

・教育課程からの排除 …世代間で貧困が連鎖し、知識・学歴の獲得が困難な状態

・企業福祉からの排除 …非正規雇用が典型

・家族福祉からの排除 …親や子どもに頼れない状態

・公的福祉からの排除 …生活保護行政における水際作戦が典型

・自分自身からの排除 …上記4つの排除を受け、自己責任論を内面化し、自分自身の存在価値や希望を見つけられなくなってしまった状態

 

4 いろいろな制度・団体

(1)行政の制度(例)

・ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法 …2002年に制定された時限立法で、2027年まで延長されている。基本法としての性格が強い。ホームレスの定義(2条)から、ネットカフェ難民等は捕捉されない。

・生活困窮者自立支援法 …各自治体の自立支援事業(相談支援、住居確保給付金の支給、就労準備支援など)

・高齢者の入居の安定確保に関する法律 …各自治体のあんしん入居制度

・住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給促進に関する法律 …居住支援法人

(2)民間の団体(詳細略)

NPO法人 …福祉事務所への同行、連帯保証事業など

・法テラス

労働組合

 

 本書は、アマルティア・センの潜在能力という概念を前提にしており、貧困問題は単に所得だけの問題ではないということがわかりました。今後も関心を持っていきたいと思います。

百人一首メモ

印象に残った歌とその感想

 

10 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

-蝉丸

(意味) これがあの、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた逢うという、逢坂の関なのですよ。

(感想) この歌が詠まれた当時の人は、仏教の「会者定離(えしゃじょうり)」(この世で出会った者には、必ず別れる時がくる運命にあること。)の理を詠んだものとして理解したそうです。

 学校で知り合う友達とも、在学中は仲良くしていてもいつしか疎遠になっていくものだし、家族や恋人とも、死による別れは避けられない。そういった理を、自分も近頃やむを得ないことと感じているので、印象に残りました。

 

11 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船

-参議篁

(意味) 広い海原をたくさんの島々を目指して漕ぎ出してしまったと、都にいる人に伝えておくれ。漁師の釣舟よ。

(感想) 作者は遣唐使の副使として、渡唐に二度失敗し、三度目は破損した船に乗せられることを嫌がって一行に加わらなかったため、嵯峨上皇の怒りを買い、隠岐の島に流されることになる。その船旅を思って詠んだ歌とのことです。

 島に流される悲しみを直接的な言葉で表現するのではなく、漁師に対して「都の人に伝えてほしい」としている部分から、作者の強がりや、都の知人に心配させまいとする配慮がうかがえます。心情を直接吐露せずに孤独感を強調する、巧みな歌だと思います。

 

29 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

-凡河内躬恒

(意味) あて推量で、もし折るならば折ってみようか。初霜を置いて見分けもつかないように紛らわしくしている白菊の花を。

(感想) 白の澄んだ美しさの表現と、「折らばや折らむ」という遊び心が好きです。

 

32 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

-春道列樹

(意味) 谷川に風がかけたしがらみとは、実は流れることもできないでいる紅葉なのだったよ。

(感想) この歌で表現されているような、小川にところどころ紅葉が溜まっている風景を近所の公園でもよく見かけます。好きな情景です。

 

34 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

-藤原興風

(意味) いったい誰を親しい友人にしようか。長寿の高砂の松も、昔の友ではないのだから。

(感想) 友人に先立たれ、新しい友人を作ることも難しく、長寿の象徴である松を友にと思っても、語り合えるような相手ではない。という長寿に至った人の孤独と悲哀が詠まれています。

 孤独には慣れている方だと思うのですが、それでも老後の孤独は、気力体力も衰えている分、かなりこたえるのかなと想像しています。今から趣味を開拓して、孤独の対策をしたいなとよく考えています。

 

38 忘らるる 身をば思わず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

-右近

(意味) 忘れ去られる私自身のことは何とも思わない。ただ、いつまでも愛すると、かつて神に誓ったあの人が、命を落とすことになるのが惜しまれてならないことよ。

(感想) 「惜し」には、神罰で命を落とす相手の男を①お気の毒に、と皮肉る気持ち、②心配する気持ちの二通りが考えられるそうです。いずれにせよ、作者の相手に対する強い感情が表れているところが好きです。どちらとも解釈できる点も、謎めいていて良いと思います。

 

57 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

-紫式部

(意味) 久しぶりにめぐりあって、その人かどうか見分けがつかないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、あの人はあわただしく姿を隠してしまったことですよ。

(感想) 幼友達との久しぶりの再会で詠んだ歌だそうです。現代でもよくありそうな場面なので、昔の人も似たような悩みを抱えていたのだなと嬉しくなりました。

 

60 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

-小式部内侍

(意味) 大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、また、母からの手紙も見ていません。

(感想) 当時、作者の歌がすぐれているのは母和泉式部が代作しているからだという噂があり、藤原定頼がそのようなことを言ってからかったところ、作者はたちどころにこの歌を詠んで、母に頼らない自分の才能を証明してみせた、とのことです。

 平安時代の人間関係も世知辛いなというところと、即座にやり返す作者の格好良さが印象に残りました。

 

83 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

-皇太后宮大夫俊成

(意味) この世の中には、逃れる道はないものだ。いちづに思いつめて入った山の奥にも、悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。

(感想) 隠遁しようとして山に入っても、世俗の憂愁から逃れられない嘆きが表現されています。鹿の声から、憂愁が人間であるがゆえの証として詠まれているそうです。

陰鬱で寂しい感じの歌ですが、作者の真剣さが表れていて好きです。

 

93 世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

-鎌倉右大臣

(意味) この世の中は、永遠に変わらないでほしいものだなあ。この渚を漕いでゆく漁師の、小舟に引き綱をつけて引くさまに、身にしみて心動かされることだ。

(感想) 世の中は永遠であってほしいという感慨が、武士である作者により表現されているところに奥行きを感じます。本当にそうだなと思います。

 

95 おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖

-前大僧正慈円

(意味) 身のほどもわきまえず、私はつらいこの世を生きる人々におおいかけることだ。この比叡の山に住みはじめたばかりの私のこの墨染めの袖を。

(感想) 仏法の力で天下万民を救おうとする、若い作者の謙虚ながらも強い自負心を応援したくなります。

 

参照: 鈴木・山口・依田『原色小倉百人一首』(文栄堂)

『ジェーン・エア』を再読して

C・ブロンテの小説『ジェーン・エア』を再読しました。

改めて、キリスト教的な価値観を濃く感じました。学生時代、キリスト教文化圏の名著と呼ばれる小説をよく読んでいたため、自分自身もキリスト教的価値観を無意識に内面化しているところがあるかもしれません。

この小説で、特に印象に残ったキリスト教的要素としては、以下のようなものがあります。

ロチェスター氏に狂人の妻がいると知ってからの、主人公の重婚への拒否感

・ソーンフィールド館を出てから、まともな寝床や食料にありつけずさまよう主人公の内省

・下巻に登場するセント・ジョンの性質

 

著者の父はアイルランド出身ですが、ヨークシャーで牧師になったそうです。プロテスタントと思われます。厳格な父親だったようです。

この小説全体を通して描かれている、主人公の意思の強さやストイックさは、キリスト教徒であれば誰でも備えているものとは到底言えないと思います。

 

上巻で描かれている、養育者である伯母の虐待、寄宿学校の環境のひどさはかなりきついものだと思いました。

下巻で主人公がソーンフィールド館を出てさまよい、やっと見つけた村で乞食のようなことをせざるを得なかった境遇も、自分であれば耐え難いと思いました。自分なら、仮に重婚だとしてもロチェスター氏からの結婚申出を断らないと思います。もっとも、その後、狂人の妻が館に放火しているので、主人公は結果的には断ってよかったということになるのでしょうか。

幼少期の過酷な環境を死なずに生き延びただけでも、主人公は相当運が良く、身体が丈夫だったのだろうと思わされますが、館を出て善良な家にたどりつけたこと、そしてロチェスター氏と再会して拒絶されなかったことも、相当運が良いと思います。情報通信・交通が未発達な時代の世界の狭さか、物語のご都合主義的展開によるところかもしれません。

この小説は、信仰それ自体よりも、主人公個人の強い性質とそれがもたらす帰結を描くことがメインなのだと思いました。

 

当時、画期的だったのは以下の点だそうです。

・主人公らが美男美女ではないこと

・女性から告白して自由恋愛をすること

読んでいて上記の点を特に画期的とは思いませんでした。もっとも、主人公らが美男美女ではないことは、作中かなり強調されているように感じられました。