百人一首メモ

印象に残った歌とその感想

 

10 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

-蝉丸

(意味) これがあの、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた逢うという、逢坂の関なのですよ。

(感想) この歌が詠まれた当時の人は、仏教の「会者定離(えしゃじょうり)」(この世で出会った者には、必ず別れる時がくる運命にあること。)の理を詠んだものとして理解したそうです。

 学校で知り合う友達とも、在学中は仲良くしていてもいつしか疎遠になっていくものだし、家族や恋人とも、死による別れは避けられない。そういった理を、自分も近頃やむを得ないことと感じているので、印象に残りました。

 

11 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船

-参議篁

(意味) 広い海原をたくさんの島々を目指して漕ぎ出してしまったと、都にいる人に伝えておくれ。漁師の釣舟よ。

(感想) 作者は遣唐使の副使として、渡唐に二度失敗し、三度目は破損した船に乗せられることを嫌がって一行に加わらなかったため、嵯峨上皇の怒りを買い、隠岐の島に流されることになる。その船旅を思って詠んだ歌とのことです。

 島に流される悲しみを直接的な言葉で表現するのではなく、漁師に対して「都の人に伝えてほしい」としている部分から、作者の強がりや、都の知人に心配させまいとする配慮がうかがえます。心情を直接吐露せずに孤独感を強調する、巧みな歌だと思います。

 

29 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

-凡河内躬恒

(意味) あて推量で、もし折るならば折ってみようか。初霜を置いて見分けもつかないように紛らわしくしている白菊の花を。

(感想) 白の澄んだ美しさの表現と、「折らばや折らむ」という遊び心が好きです。

 

32 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

-春道列樹

(意味) 谷川に風がかけたしがらみとは、実は流れることもできないでいる紅葉なのだったよ。

(感想) この歌で表現されているような、小川にところどころ紅葉が溜まっている風景を近所の公園でもよく見かけます。好きな情景です。

 

34 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

-藤原興風

(意味) いったい誰を親しい友人にしようか。長寿の高砂の松も、昔の友ではないのだから。

(感想) 友人に先立たれ、新しい友人を作ることも難しく、長寿の象徴である松を友にと思っても、語り合えるような相手ではない。という長寿に至った人の孤独と悲哀が詠まれています。

 孤独には慣れている方だと思うのですが、それでも老後の孤独は、気力体力も衰えている分、かなりこたえるのかなと想像しています。今から趣味を開拓して、孤独の対策をしたいなとよく考えています。

 

38 忘らるる 身をば思わず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

-右近

(意味) 忘れ去られる私自身のことは何とも思わない。ただ、いつまでも愛すると、かつて神に誓ったあの人が、命を落とすことになるのが惜しまれてならないことよ。

(感想) 「惜し」には、神罰で命を落とす相手の男を①お気の毒に、と皮肉る気持ち、②心配する気持ちの二通りが考えられるそうです。いずれにせよ、作者の相手に対する強い感情が表れているところが好きです。どちらとも解釈できる点も、謎めいていて良いと思います。

 

57 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

-紫式部

(意味) 久しぶりにめぐりあって、その人かどうか見分けがつかないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、あの人はあわただしく姿を隠してしまったことですよ。

(感想) 幼友達との久しぶりの再会で詠んだ歌だそうです。現代でもよくありそうな場面なので、昔の人も似たような悩みを抱えていたのだなと嬉しくなりました。

 

60 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

-小式部内侍

(意味) 大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、また、母からの手紙も見ていません。

(感想) 当時、作者の歌がすぐれているのは母和泉式部が代作しているからだという噂があり、藤原定頼がそのようなことを言ってからかったところ、作者はたちどころにこの歌を詠んで、母に頼らない自分の才能を証明してみせた、とのことです。

 平安時代の人間関係も世知辛いなというところと、即座にやり返す作者の格好良さが印象に残りました。

 

83 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

-皇太后宮大夫俊成

(意味) この世の中には、逃れる道はないものだ。いちづに思いつめて入った山の奥にも、悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。

(感想) 隠遁しようとして山に入っても、世俗の憂愁から逃れられない嘆きが表現されています。鹿の声から、憂愁が人間であるがゆえの証として詠まれているそうです。

陰鬱で寂しい感じの歌ですが、作者の真剣さが表れていて好きです。

 

93 世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

-鎌倉右大臣

(意味) この世の中は、永遠に変わらないでほしいものだなあ。この渚を漕いでゆく漁師の、小舟に引き綱をつけて引くさまに、身にしみて心動かされることだ。

(感想) 世の中は永遠であってほしいという感慨が、武士である作者により表現されているところに奥行きを感じます。本当にそうだなと思います。

 

95 おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖

-前大僧正慈円

(意味) 身のほどもわきまえず、私はつらいこの世を生きる人々におおいかけることだ。この比叡の山に住みはじめたばかりの私のこの墨染めの袖を。

(感想) 仏法の力で天下万民を救おうとする、若い作者の謙虚ながらも強い自負心を応援したくなります。

 

参照: 鈴木・山口・依田『原色小倉百人一首』(文栄堂)