歩きながら考えたこと

① 認知されることと目立つことの違い

 

目立つことはよくない、最近の目立ってなんぼという風潮は実はダメという意見を目にした。確かに、個人的な経験でも、目立つのはよくないなと思ったことがある。何がよくないかというと、まず第一に自分を支えてくれる身近な人を置いてけぼりにしてしまうこと。次に、他人から意図しない悪印象を持たれやすくなること。

しかし、企業が自分の存在を不特定多数の消費者に認知させるため、広告に多額の費用を投資していることからもわかるように、社会で何かをなしとげるためには、目立つ目立たない以前に自分の存在を多くの人に認知させる必要がある。炎上などで悪目立ちしたとしても、そもそも全く存在を知られていないよりはマシ、悪印象は良印象に塗り替えることができるから大丈夫、という考え方にも一理ある。

思うに、目立つのが良くないのはそれが全く自分のエゴの為である場合で、支えてくれる人を置いてけぼりにせず、なおかつ社会貢献などの大義名分があれば、認知されることを目指し、その結果として目立ったとしても問題ないのかもしれない、などと考えた。

 

② 芸術や思想学問は最後の砦ということ

 

自分は芸術や学問にそこまで熱中するたちではなく、体を動かしていた方が楽しいタイプかもしれない、と最近になって気付いてきた。しかし、芸術や学問などの精神的活動を全くやめてしまいたくはない、と思っている。それはなぜかというと、そういった精神的活動は、お金がなかったり、老いや事故で身体に障害が残ったりしても、幸福感や充実感を生み出し、自分の心を救ってくれるものだと思うからだ。その意味で最後の砦だと考えている。

一方、そうだとすると芸術や思想学問への関心が薄い人間は、貧困や身体的不自由のような極限状況で幸せを感じにくく、不利なのだろうか。それは不公平ではないかといった疑問が浮かんだ。まあ、普段精神的活動への関心が薄くても、そのような状況に置かれれば別かもしれないし、精神的活動とひとくくりにいっても、その内実・趣味嗜好は様々だろうから、不公平ということもないのかもしれないな、と思った。