布団で考えたこと

明日から天気悪くなるみたいですね。

 

先ほど、どうして女に生まれたんだろうと思いながら少し泣いてしまいました。

男は女と対等の立場で対話できる、分かり合えると思っているかもしれないけれど、それは勘違いです。分かり合う必要なんてなくて、それぞれの役割を果たせばいいのだと思いました。

 

abemaTVでバラエティ番組を少し見てみました。

見た範囲では、言い方は悪いですがくだらない企画が多いなと思いました。バラエティ番組は、芸人同士の気まずさや芸能人の普段隠してる部分、しょうもない過去なんかをとりあげて視聴者の興味をそそり、笑いに変えようとすることがよくありますね。そんな内容ばかりだと、普通の飲み会でのぶっちゃけ話を聞いているのと同じです。ただ、芸人の技術によって多少無難にまとめられ、予定調和的に笑いが発生するようになっているというだけです。

みんな、人の心理や心の奥に触れることに飢えているのでしょうか。

 

先日、もともと住んでいた街を訪れました。こっちではあまり見ない植物や鳥が多く、それらを目新しく感じたことがショックでした。

 

少し嫌いだった大学の同級生のことを思い出したりもしました。場を仕切ることに慣れているのか、よほど私がぼんやりと何もしないでいるように見えるのか、上から目線で命令してくるのが嫌いでした。私の嫌いな業界に就職したので、その人のことを嫌いだったことも間違いではなかったのかな、などと思っています。

多少恩もあるのでこの辺にしておきます。

 

母は今思うと結構世間知らずなのに、どうして昔はあんなに偉そうだったんだろう、と思います。頭の中にある理想や、自分だったらこうする(こうできるはず)という想像を妄信していて、おめでたいなと思います。

 

身内や同じ国の出身者を「誇りに思う」人は、自分を誇れないことを恥ずかしいと思わないのでしょうか。「誇りに思われる」側の迷惑を考えないのでしょうか。最近テレビで例の野球選手がやたらと持ち上げられているのも、なんとなくイヤだなと思います。

 

大学受験の時の塾の先生が、難関大に「10代で」受かるのが特別なことなのだと言っていました。時間をかけて勉強すれば、難関大に受かるのは難しくないということです。

私もそう思います。高校までの乏しい経験知で、思春期のフラストレーションも溜まっているさなかに難関大に合格することが特別なことなのです。つまり、早熟であることが評価されているということです(それが実際、どの程度評価に値することなのかは不明です)。社会人としての経験を積み、世の中のことを知り、思春期も落ち着き、努力の仕方も身に着ければ、大学受験なんて簡単なのだろうと思います。

卑屈になる必要はないということです。