演劇に触れた思い出

大学に行ったら、今まで縁もゆかりもなかったけれど、演劇を始めてみよう、と思った瞬間のことを今でも覚えています。

たしか、金閣寺という演目の、主役をつとめたV6の森田剛さんが賞賛されているネットの記事をみて、こんな風に評価されるのってかっこいいな、と思うと同時に、自分にも演劇ができるんじゃないだろうか、と感じたのでした。

実際に演劇をかじってみた現在、そう感じた根拠については以下のように考えています。すなわち、役者が評価される理由は、①作品や役柄、人間というものへの理解の深さと、②声や体つき、表現力など、その役者個人の魅力の掛け算にあると考えています。私は昔から現代文が得意だったので、作品や役柄を分析し、理解することはできそうだと考えました。また、人間とはどうあるべきかといったことについてもよく考えていて、持論がありました。そのため、①ならつきつめられそうだと思ったのでしょう。②は楽観的に、頑張れば何とかなると思いました。

実際、演劇という環境に飛び込んでみて、すごくのびのびと息ができました。役者をやっていれば、普段他人から気づかれていても言ってもらえないような、自分自身の様々な側面について指摘してもらえる。舞台のいろいろな準備から小屋入りまで、仲間と密接にかかわりながら、同じ方向を向いて頑張れる。演劇は、それまでどのようにして人と関わればいいのかわからず迷走していた私にとって、正しい方向を指し示し、たくさんの実践の場を与えてくれる、めったにない環境でした。

できるんじゃないだろうか、と思った勘がまあまあ当たったということもありますし、失敗してもいいから自分の意思でやりたいことをやってみる、という態度はすごく大事ですね。

私を演劇に出会わせてくれた運命と、当時の仲間にはとても感謝しています。

 

一方で、演劇を続けることの限界にぶつかる時がやってきました。

  • 役者としての魅力(上記②)が不十分だと感じた
  • 恋愛で承認欲求が満たされた
  • 個々の物語にそこまで魅力を感じないことに気がついた

以上の事情から、演劇への熱は、不本意ながら結構急速に冷めていきました。

 

・役者としての魅力が不十分だと感じた

演技力で評価されたいと思っていたので、そこまで美人でないことはあまり問題ではありません。実際演劇界隈には、美人でなくても評価されている役者がいっぱいいました。しかしながら、変えようのない身体的な素質というものがあるようで、頑張っても評価されるのは難しいかもしれない、という結論に至りました。

具体的には、声が小さいことの他に、感情表現が一般的ではない、身体の動きが自然ではない、といったよくわからない素質があるために、私には「その辺にいそうな人」っぽさがあまりなく、通常そうであるように「その辺にいそうな人」をベースにいろいろな役柄に発展させるには限界がある、と感じました。他の人に比べ、器用でないとも思いました。

・恋愛で承認欲求が満たされた

当時初恋をして、過去の自分との連続性がどこかに行ってしまいました。私の恋愛観は、相手と深い話をしたいという衝動に、好意がくっついているような感じです。気が合う相手とは、自分が思っていることや感じていることを全力で吐き出していいんだ、という発見がありました。演劇や創作でなくても、承認欲求や人間関係の欲求をダイレクトに発散させられる場が見つかって、満足したのかもしれません。

・個々の物語にそこまで魅力を感じないことに気がついた

これが一番本質的な問題かもしれません。演劇という表現形式に合う物語は、登場人物が10人程度のヒューマンドラマであることが多いです。文学なら、壮大な物語や深い哲学をいくらでも表現することができます。映画やドラマなら、映像技術で華やかな表現ができますし、場面転換も一瞬で行うことができます。ところが演劇は、観客の目の前で実演するという特性上、いろいろと物理的な制約があります。それに、演劇で壮大な物語をやられても、たぶん観客は冷めてしまうと思います。

私はもともと、文学が好きでした。文学の壮大な物語や、深い哲学の方になじみがあったのです。演劇のこじんまりしたヒューマンドラマも嫌いではないですが、どうしても他愛のない、とるに足りない物語のように感じました。そもそも、私はエンタメとして物語を消費することを時間の無駄だと思っているようです。私が文学を好んでいたのは、文学が「勉強になる」「役に立つ」からなのだろうと思います。

役者は作品に忠実であることが仕事です。作品が表現しようとしていないことは表現できません。そして、一般的な演劇作品はエンタメです。そこまで魅力を感じていない作品のために努力を続けるのは、難しいと感じました。

 

このようにして演劇と袂を分かった私ですが、未練があるといえばあります。演劇で楽しかった経験を、どう整理したらいいのかいまだにわかりません。以前と同じスタンスで再び演劇に熱をあげても、まったく同じ限界にぶつかると思います。ある種の部外者として、ほどよい距離感でつきあえればいいなと思います。